Fumiaki IWATA's scientific contributions

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宮沢賢治一族と真宗大谷派の僧、近角常観との間には密接な関係があった。近角の布教の本拠地であった求道会館から発見された、宮沢一族からの二十通の書簡は、その具体的な関係をよく示している。その書状の中で、とくに賢治の妹トシ発の二通の書簡が注目に値する。真宗の信仰を獲ることができないという悩みを、彼女が告白しているからである。賢治が真宗の信者から法華経の行者になったとき、トシはいち早く賢治にしたがった。この書状の存在から、今後は、賢治からトシへの一方的感化があっただけではなく、トシの中に存在していた精神的空白に
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デス・エデュケーションの日本版の一つと位置づけられる「いのち教育」は, それがよって立つ理論的基盤をいまだ明確にしているとはいえない。本稿では「いのち教育」の根拠を明らかにするとともに, その適応範囲を限定することを試みてみたい。「いのち教育」は, ホスピスケアと同様に, スピリチュアリティの次元に関わる。しかし, その関わりは, 医療よりも限定されたものとならざるをえない。日本における教育と医療との違いを踏まえて, 教育の場では, 「自己の死」ではなく「他者の死」を主題にすえることを私は提唱したい。現代の教育改革の論議状況を鑑みても, 「こども中心主義教育」の問題点からみても, 「他者の死」を「いのち教育」の主題にすえることは積極的意義が認められるからである。 “Death educati...
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本稿は論者の研究テーマであるフランス・スピリチュアリスム研究の一部をなすものである。すなわちフラソス・スピリチュアリスムの流れの中でのベルクソンの思索の意義を解明するための基盤となるものである。ベルクソンの『物質と記憶』は出版以来多くの議論をうんできた。出版されるや否や「新たなスビリチュアリスム」に基づいた著作だと否定的なニュアンスを込めて評され, またラッセル, サルトル, メルロ・ポンティーといった20世紀を代表するような哲学者によって批判的に考察された。ところが『物質と記憶』に深い意義を認めたドゥルーズの解釈により, この著作を巡る研究状況は大いに変わった。本稿ではこれらの先行する研究を踏まえながら, この著作における「努力」の問題に着目し, 「努力」がこの著作でいかなる意義を有してい...
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論者は, フランス・スピリチュアリスムを宗教哲学の観点から系統的に考察することを目指している。本稿は, この研究を進めるにあたり, フランス・スピリチュアリスムという名称の意味内容を明確にしようとするものである。そのためにまず第一章で, P. ジャネの論文にもとづきフランス・スピリチュアリスムの成立状況を解明する。ついで第二章で, グイエ, コタン, ナベール, 増永らの先行研究を参照しながら, スピリチュアリスムに一定の定義を与えることを試みる。そしてその試みを通して, スピリチュアリスムの中に少なくとも二つの系統が区別されなければならないことを示したい。第三章で, スピリチュアリストの自己理解を検討し, 論者が構想しているスピリチュアリスム研究の見取り図を提示したい。最後に, スピリチュ...
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ブロンデルの思想は,メーヌ・ド・ビランに端を発するフランス・スピリチュアリスムの宗教哲学の一つの頂点を形成している。本稿では,行為の自己反省ともいうべき彼の哲学的方法を明確にすることによって,その宗教哲学的意義を解明するための第一歩を踏み出したい。まず第一章で,ブロンデルが『行為』(1893)で「行為」を主題として選んだことの意義を考察する。そしてブロンデルが区別した「実践の知」と「実践の学」の関係を解明する。ついで第二章で,『行為』第三部第二段階の記述を検討し,「反省」の人間学的基盤について考察する。第三章では,『行為』第三部第三段階でのブロンデル身体論を読み解き,「反省」が必然的に「行為」へと展開するブロンデルの独自の立場を明らかにする。そこでは,特にビランと対比させ,ブロンデルが彼の思...