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うどん出汁の東西格差に海流がおよぼした影響

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うどんのかけ汁には東西格差があり、東日本は濃色で出汁は鰹主体、西日本は淡色で出汁は昆布主体の傾向がみられる。この原因には海流が深く関わっている。海流の安定性から昆布を供給した北前船は太平洋岸側を敬遠して日本海岸側および瀬戸内海を主に通ったこと、そして、南から流れてくる黒潮と混合域の存在により鰹は南東北以南の太平洋岸側でよく捕れたこと、これらの結果として、関西・瀬戸内では昆布が入手しやすく、関東・東海では鰹が入手しやすくなった。海流の影響によって出汁の食材供給に地域差が生じたことにより、うどんのかけ汁に東西格差が生まれた。
うどん出汁の東西格差に海流がおよぼした影響
鹿島 基彦( 神戸学院大学 人文学部
要旨
うどんのかけ汁には東西格差があり、東日本は濃色で出汁は鰹主体、西日本は淡色で出汁は昆布
主体の傾向がみられる。この原因には海流が深く関わっている。海流の安定性から昆布を供給し
た北前船は太平洋岸側を敬遠して日本海岸側および瀬戸内海を主に通ったこと、そして、南から
流れてくる黒潮と混合域の存在により鰹は南東北以南の太平洋岸側でよく捕れたこと、これらの
結果として、関西・瀬戸内では昆布が入手しやすく、関東・東海では鰹が入手しやすくなった。
海流の影響によって出汁の食材供給に地域差が生じたことにより、うどんのかけ汁に東西格差が
生まれた。
1. はじめに
東西に分けて対比表現されることの多い日本の文化であるが、日本は南北にも長い国である。
比較的大きな島である九州から北海道までに限定しても、北緯 30~46 度の南北およそ 16 度にお
よぶ。これはおよそエジプトのカイロからスイス、アメリカのフロリダからカナダのモントリオ
ールの南北差に相当する。
南北の違いは気候の違いを生み、それは植生の違いを生んだ。加えて、日本列島は大気や海洋
の循環の境や、温帯と冷帯の境をまたぐため、気候と植生の違いはより顕著である。もし日本列
島が 5度程度南にずれていたら、今よりもずっと気候と植生の格差小さかったであろう。
南北格差に伴う気候と植生の違いは、各地でとれる産物や産業発展に違いをもたらした。これ
はそう広くない日本に多様な特産品が発展した大きな原因にあげられる。各地の特産品の違いは
交易の需要を生み、日本海岸沿いの海路「北前船航路」や太平洋岸沿いの陸路「東海道」などの
街道が発達した。特に、大量の物資を運搬できる海運が利用出来たことにより、地元産でないも
のも比較的安価に入手出来るようになった。
日本の代表的な小麦食である「うどん」。米が万人に行き渡るようになったのはごく最近のこ
とで、うどんやそれに類するものは全国各地の日常食であった(江原ほか、2009。最も一般的
なうどんの形態は、「熱かけ」うどんであろう。これは小麦粉から作ったひも状の「麺」と、海産
物などからとった出汁に醤油などを加えた「かけ汁」によって主に構成される。
かけ汁には、かなりの多様性と地域性が見られる。出汁には、鰹や昆布をはじめ、讃岐ではか
たくち鰯(いりこ)、九州では飛魚(あご)なども使われる。また、かけ汁の色に大きく影響する
「醤油」にも地域性は強く、関西は龍野の淡口醤油、関東は野田の濃口醤油(奥村、2009)、 中
京は武豊の溜醤油や碧南の白醤油(高橋、2013/9)といった特徴が今日でも見られる。
本研究では、うどんのかけ汁に東西日本で違いが生じた原因として、出汁の地域性と物流に着
目して、「海流説」を提案する。
研究報告④
-35-
2. かけ汁の色および出汁の東西格差
うどんのかけ汁の色は大きく濃色系と淡色系に分かれる。東京から博多までの東海道・山陽新
幹線駅におけるかけ汁の色は、滋賀県の米原駅と愛知県の名古屋駅の間で最も差が大きい調査結
果もある(日本テレビ、2001。もう少し広く見ると、その境は富山県内、石川県内、福井県内、
滋賀県と岐阜県の境(関ヶ原)、奈良県と三重県の境付近にあると考えられている(図表 1)。 濃
色系の代表としては関東の濃口醤油と鰹節中京の溜醤油と雑節、淡色系の代表としては関西の
淡口醤油と昆布を主に鰹節を背後に加えたかけ汁がある(奥村、2009。また、このうどんの境
は、雑煮の丸もち・角もちの境(浅井、2007 奥村、2008、雑煮のみそ仕立て・すまし汁の境
(奥村、2008、日本にある三つの食文化境界線のうちの第一次味覚境界線(近藤、1976)と
一致している。様々な食文化共通の境になっていることが伺える
カップ麺うどん「どん兵衛」を作る日清食品は、出汁に鰹と肉エキスを用いた濃色の東日本用
と、昆布と鰹を用いた淡色の西日本用の二種類を県によって売り分けている(奥村、2009
清食品、2013/9。東日本用は、新潟、長野、岐阜、三重まで、それより西は西日本用である(図
2。東洋水産のカップ麺うどん「赤いきつね」も同様に地域によって売り分けている(東洋水
産、2013/9)。
出汁と醤油の相性については、人間の味覚と趣向に大きく依存するために確認が難しいが、関
西には昆布主体かつ淡色(淡口醤油)、関東は鰹主体かつ濃色(濃口醤油)の組み合わせが一般
に見られる(図表 3。これに従い、以後、かけ汁の濃淡色の違い=出汁の鰹主体と昆布主体の違
い、として考察する。なお、中京の溜醤油と関東の濃口醤油は異なる醤油であるが、「出汁」との
相性という観点からみると、どちらもクセのある鰹と相性の良い濃い目の同種の醤油とみなせる
だろう(逆に、味の弱い昆布と相性の良い淡口醤油)
図表 1糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)と、
うどんのかけ汁の濃淡を分けるライン奥村
2009
図表 2濃色は東日本用、淡色は西日本用の
「どん兵衛」を販売する地域(日清食品、
2013/9)。
-36-
3. 東西格差の原因諸説
関東と関西のかけ汁の違いの原因には様々な説が考えられている。例えば、奥村2009)は次
の五つの説をあげている。
1関東そば切説関東ではそばがよく採れたことや湯で時間が短い簡便性から「そば切」
が人気で、特につけ麺型の冷ざる系のそば切が普及したため、それに合う醤油も出汁も濃いつけ
汁が普及した。それに伴って、うどんも冷ざる系が普及し、それを転用したことから熱かけうど
んは濃いかけ汁になった。
2関西ケチ説:関西では節約を優先する風潮があるので、醤油も出汁も使用量の少ない
かけ汁になった。
3江戸っ子粋説:江戸っ子は粋なこと(カッコ良さ)を重視するために、かけ汁を残す
習慣があったため、かけ汁が濃くなった、とするもの。しかし、仮に関東でも関西のようにかけ
汁の色と塩分濃度が薄かったとしても、これが原因ならば、同じく残したと考えることが出来る。
したがって、関東ではかけ汁を残す傾向はあったかもしれないが、それがかけ汁が濃くなった原
因としては考えにくい。むしろ原因と結果が逆の誤解釈であろう。
4京都上品説:京都をはじめとした関西では色が淡くかつ甘みを押さえた上品なものを
好んだ、とするもの。ただし、何を持って上品と感じるのかは判断が難しい。
5江戸上水道整備説:江戸では徳川幕府が町を計画的に作ったために、上水道がかなり
整備されて、きれいな水が手に入りやすかった。そのため、冷ざるが普及したため、それに合う
醤油も出汁も濃いつけ汁用が普及した。それを転用したことから熱かけうどんは濃いかけ汁にな
った。逆に、関西は上水が十分に整備されておらず、衛生面から熱かけうどんにならざるを得な
かった。そのため、熱かけうどんに合う出汁の味が生きる醤油の淡いかけ汁が普及した、とする
もの。今日では冷ざる系は関西でも普及していることから、上水道の影響は十分に考えることが
出来る。
日本テレビ(2001)やうどんガイド(2013/9は、次の説をあげている。
6地質水質説:水質は通過する地層の地質によって決まる。糸魚川静岡構造線(フォッ
サマグナ)を境に東側は関東ローム層といわれる火山灰質なため比較的ミネラル分が多い硬水傾
向の軟水であり、西側の中部以西では比較的ミネラル分の少ない軟水傾向の強い軟水である。こ
のミネラル分の違いが効き、関東では昆布出汁が出にくいのに対し、関西では出やすい違いが生
じたため昆布普及に違いが生じ、昆布の味を活かした醤油味の薄いかけ汁が関西で普及し、関東
関西 関東
出汁
昆布、鰹、うるめ鰯
醤油
淡口醤油、高塩(単位量あたり)
濃口醤油、低塩(単位量あたり)
淡色
濃色
軟水傾向(軟水)
硬水傾向(軟水)
習慣
かなり飲む
ほとんど残す(塩分も出汁も
2
以上
呼称
だし
つゆ
図表 3うどんのかけ汁の関東関西特徴(奥村、2009)。
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は普及しなかった、とするもの。この説ははっきりとした地質学的な根拠を基に関東と関西の
違いについて説明しているので有力な原因の一つに考えることが出来るが、中京を考えると矛盾
が生じてしまう。中京は地質水質は関西系だが、かけ汁は濃色系の関東系である(図表 1)。
東洋水産(2013/9)は、関東と関西の比較ではなく、東海道での連続性を分断する解釈をあげ
ている
7木曽三川分断説:岐阜県および愛知県の濃尾平野西部を流れる木曽三川(木曽川、長
良川、揖斐川)は三つの流れが交じり合うために洪水が多く街道が分断されることが多かった。
そのため木曽三川をまたぐ交流が少なくなり、うどんのかけ汁にも違いが生じた。この説は関ヶ
原付近での分断は説明しているが、中京から関東にいたる「濃色かけ汁」の連続性については説
明していない。
4. 東西格差の海流説
4.1 北前船による昆布供給
関西のうどんの代表的な出汁である「昆布」は、まだ物流体制の整っていない奈良時代から貴
重な献上品であった(清水、2012ことからも、その味に人気があったことが伺える。
うどんをはじめとして、昆布は関西で普及したが、関東~中京では比較的普及しなかった。し
かし、昆布の産地は関西やその近隣地域ではなく、日本最北地域の北海道である。地域性のある
食文化の場合には、地元でとれる食材を利用したものが多く、逆に遠くから輸送した食材は珍し
い。昆布の場合には物流の都合による原因があった。
戦国時代~明治時代は北前船・北前船交易と呼ばれる、春から秋にかけて北海道と大阪を 1
往復する海運が栄えた(図表 45。最大消費地の江戸があり、北海道―大阪の最短海路である
太平洋岸側(東廻り航路)が主要航路になりそうだが、実際は日本海岸側(西廻り航路)が主要
航路であった。効率から考えるとこれは極めて異様なことである。それは日本海岸側の方が海運
がしやすかったためと考えられている(村田、2001。その原因は次に示す海洋科学的な特性に
あると考えることができる。
図表 5北前船交易の主な航路と寄港地(渡辺、
2002
)。
図表 4北前船(Kiuemon2011
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1)不安定で強い海流の流れる太平洋岸側
日本の太平洋岸側には南からの「黒潮」と北から「親潮」という西岸境界流と認識される強い
海流がある(図表 6。海流が強いほど海運が海流から受ける影響も強くなる。地球自転による影
響で地球上ではコリオリ力と呼ばれる(北半球では)右向きに働く力が生じる。その強さは自転
軸に直角な方向に大きく、並行な方向は 0になるため、地表面沿いに働く力を考えるとコリオリ
力は極域ほど強く、赤道で 0になるという緯度によって異なる性質(ベータ効果)を持つ。これ
により、大洋の西端には強い海流(西岸境界流)が生じる。
仮に海流が強くても安定して一定方向に流れていればよいが、不安定ならば海運の大きな障害
となる。そして、太平洋岸側の海流は、次にあげる不安定な性質を持つ
大阪~東京間の沖合を流れる黒潮の流路は長期的に見て不安定である。黒潮は比較的岸近くを
流れる「非大蛇行流路」を取る時と、大きく沖合へ蛇行する「大蛇行流路」を取る時とがあり
6 Kawabe1995) それは数年~10 規模で移り変わると考えられている(川辺、2003)。
そのため、経験が頼りの北前船の時代には黒潮とその再循環流の位置や向きを知ることは難しか
ったはずである。なお、この流路の変遷の原因は未だ解明されていない
九州~東京間の沖合では、黒潮の流路は数ヶ月単位の短期的に見ても不安定である。大洋の西
部には中規模渦と言われる直径数 100 km 度の渦が多数ある。これらはベータ効果の影響によ
って西に運ばれ、黒潮や親潮などの海流と干渉してその流路を乱し、黒潮の流路を小さく蛇行さ
せるためである(図表 7 Kashima ほか、2009)。
東京~北海道間にあたる北関東・東北の太平洋岸沖には混合域や混合水域と呼ばれる不安定な
海域が存在する。その理由は、南方からの西岸境界流である黒潮と、北方からの西岸境界流であ
る親潮がせめぎ合い、そこに東方から中規模渦が訪れ、さらに西方から津軽暖流が入り込むため
である(鹿島ほか、2006。このように混合域では海流を判断することが難しかったために、黒
潮や親潮の速い流れに乗って遠く太平洋の沖合にまで流される恐れがあることは昔から知られて
いた(村田、2001)。
図表 6日本周辺の主な海流の概念図(浅井、
2007)。
図表7人工衛星による海面高度計観測から推定
した 2004 710 日における日本周辺の海面渦
度偏差。農色は時計回り渦、淡色は反時計回り渦、
灰色ベクトルは流れ示す。
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2)海流と風の安定した日本海岸側
九州から北海道までの日本海岸側には、岸沿い北向きに安定した対馬暖流(第一分枝)が流れ
ている。この海流は下関から北海道方面に行くには大変好都合であった。これは沿岸境界流と呼
ばれる沿岸と沖合の塩分濃度の違いによる水の密度差によって、弱いが岸に沿って安定した海流
が出来る性質による(宇野木、1993。沿岸境界流は太平洋岸側にも出来るが、強い西岸境界流
や中規模渦の流れのほうがはるかに支配的である。それに対して日本海の東端である日本海岸側
には、先述(4.1 節(1)の理由から、西岸境界流のような強い海流はできず、また、中規模な
ども訪れないために弱い岸沿いの海流である沿岸境界流が残りやすい。
北海道から下関方面に航海する際には、日本海岸側には「あいの風」と呼ばれるほどよい北寄
りの風が夏から初秋にかけて吹き、昔から重宝されていた(浅井ほか、2001。また、冬の日本
海域はモンスーンの強い北~北西の風によって大荒れになるので(川村ほか、2003海運には不
向きである。
3)北前船の低い航海性能
江戸幕府の鎖国政策として外洋航行可能な大型船建造は禁止されていた(村田、2001ために、
比較的小型で、追風しか風は利用できない帆掛け舟形式(横帆装)(尾本ほか、2000)が主流に
なったと考えることが出来る。さらに、松前藩(北海道)の税は船の幅、深さ、船底の板(カワ
ラ)の長さを基準に決められていたので、ずんぐりとした船型になっていった(北川ほか、2007)。
このような諸事情から、航海性能が低かったため、なおのこと海流と風の影響は大きかったであ
ろう。
このように、太平洋岸側は海流が不安定で海運が難しかったのに対して、日本海岸側は安定し
ていたために海運に向いていたことなどが効いて、北前船交易の主要な航路は日本海岸側を通る
西廻り航路になった。その結果として、日本海沿岸、瀬戸内、関西に昆布が多く安価に供給され
たと考えることが出来る。
なお、北前船交易の行程についても海流と風が影響し、春から夏にかけて北上し、夏から秋に
かけて南下し、冬は運休もしくは瀬戸内海を運行するに至ったと考えることが出来る。
4.2 黒潮と混合域による鰹供
1)太平洋岸側でよく捕れる鰹
日本南岸沖には黒潮がずっと流れておりその北側には混合域が位置するため、南東北地方以南
の太平洋岸側では鰹はよく捕れる(図表 8は赤道付近で産卵すると考えられており、春にな
るとエサ場の混合域に向かい、晩夏になると再び南に帰る回遊魚である(農林水産省、2008)。
混合域が好エサ場である理由は、黒潮の高水温と親潮の高栄養分が混ざり、プランクトンの増加
に程よい環境が整うためと考えられている。
混合域が日本の太平洋岸側に顕著に形成される原因は、そこが大洋の西端にあたるために西岸
境界流が流れていることと、南北からの西岸境界流が出合う緯度に日本が位置することである。
もし混合域が日本南方にあったならば、日本近海で鰹は容易に捕れず、日本の食文化は大きく異
なっていたであろう。また、昆布の運搬を阻んだ混合域の存在が、逆に、鰹を日本近海に呼び寄
せる原因になっていることは、両者の供給地が重複しない原因になっている。
2)日本海岸側であまり捕れない鰹
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鰹は日本海に多くは回遊しないので日本海岸側ではあまり捕れない(図表 8それは日本海岸
側では顕著な混合域が形成されないためと考えることが出来る。その原因には、日本海岸側が大
洋の東端にあたるために沖合に西岸境界流がないことと、日本海が太平洋ほど大きくないため
日本海の西岸境界流は強くないこと、日本沿岸域には南からの対馬暖流はあるものの北からの海
流がないことなどがあげられる。
4.3海流説の妥当性と矛盾点
地質水質説(3章(6)では、うどん出汁の東西境界である関ヶ原と、地質水質境界である糸
魚川静岡構造線のずれを説明できなかった。それに対して海流説では、北前船によって昆布が入
手し易かった関西・瀬戸内・日本海沿岸(昆布供給圏)と、鰹が入手し易かった関東・東海地方
を含む南東北以南の太平洋沿岸(鰹供給圏)の両供給圏の境がちょうど関ヶ原となり、うどん出
汁の東西境界と一致する
木曽三川分断説(3章(7)では、関ヶ原での分断は説明出来るが、中京から関東までの連続
性は説明出来なかった。しかし、海流説では、この分断と連続性の両方を説明することが出来る。
少なくとも関東~関西間については、海流によってうどん出汁の食材供給の違いが生じ、うど
ん出汁の地域性に最も大きな影響を与えたと考えることが出来る
一方、日清食品の「どん兵衛」は鰹供給圏である関東系を東北地方で販売していることから
断すると、東北地方の日本海岸側のうどんには関東系の傾向が強いと考えることが出来る。し
し、海流説では日本海岸側は昆布供給圏にあたるため、東北地方の日本海岸側は関西系になるは
ずである森貞俊二私信)。 さらに、うどん出汁の地域性を決める原因は複数あるはずであり、そ
れぞれの地域や境界毎に支配的な要素がそれぞれ異なるのは自然であろう。今後は、東北、九州、
南四国を含む関東~関西間の外の地域の地域性と原因について調査・研究を進める必要がある。
5. まとめ
うどんのかけ汁には、関ヶ原付近を境に東日本は濃色で鰹主体、西日本は淡色で昆布主体とい
図表 8カツオの代表的な回遊経路(農林水産省、2008)。
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う東西格差がみられる。大手メーカーのカップ麺うどんも東西日本で売り分けているほどである。
その違いを説明する解釈は、これまでいくつか提唱されているものの、どの説も決め手に欠けて
いた。そこで本論では、海流による食材供給決定によって東西格差が生まれたとする「海流説」
を新たに提唱した。
北海道でしか採れない昆布が関西などの西日本で普及した理由は、海流が安定しているなどの
理由から昆布を供給した北前船交易の航路が日本海岸側および瀬戸内海になったことにより、昆
布が多く安価に供給されたためである。太平洋岸側に流れる黒潮と親潮は西岸境界流と呼ばれる
強い海流であり、両者が出合う海域は海流の複雑な混合域であり、日本南岸沖の黒潮は大蛇行や
小蛇行を繰り返す流路が不安定な特質を持つ。これらの理由から太平洋岸側の海流は不安定で海
運に適さなかった。一方、日本海岸側を流れる対馬暖流は沿岸境界流として岸沿いを流れる特性
をもち、東方から擾乱もやって来ず、夏から初秋にかけてはほどよい風が吹く。これらの理由か
ら日本海岸側の海流は安定しており海運に適していた。さらに、鎖国政策に由来する北前船の低
い航海性能が海況からの影響をより大きくした。
鰹は南東北以南の太平洋岸側でよく捕れる。それは太平洋岸側は大洋の西端にあたるために西
岸境界流である南からの黒潮と北からの親潮が出合うことで好エサ場の混合域が顕著に形成され
ることと、混合域の出来る緯度に日本があったことに起因している。逆に、同様の理由から日本
海岸側では混合域が顕著に形成されないために鰹はあまり捕れない。
これらの理由から、関西・瀬戸内では運搬経路上のために昆布が入手しやすく、関東・東海で
は地元産の鰹が入手しやすくなり、うどんのかけ汁用の出汁の東西格差を形成していったと考え
ることが出来る。らに、うどんは庶民の食べ物であるがために(森貞俊二私信)、食材を安価に
大量に入手できるか否かの食材供給の問題は、より大きいと考えることが出来る。
うどん出汁の地域性は様々な原因によって複合的に形成されるので、原因の特定は容易ではな
い。残念ながら海流説でも日本全体を説明するには至っていない。しかし、関東~関西間の東海
道沿いにおけるうどん出汁の東西格差の原因は海流説でうまく説明できたと考えている。
謝辞
うどん素人の私に多くの貴重なご助言を下さった日本うどん学会の皆様、特に森貞俊二教授に感
謝致します。また、理学畑の私が文理融合の本研究を積極的に進められたのは、神戸学院大学人
文学部の先生方の深い理解と御支援によるものが大きいと感じています。ここに改めて感謝致し
ます。海面高度データには J-OFURO を使用しました(Kubota ほか、2002)。
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We have constructed ocean surface data sets using mainly satellite data and called them Japanese Ocean Flux data sets with Use of Remote sensing Observations (J-OFURO). The data sets include shortwave radiation, longwave radiation, latent heat flux, sensible heat flux, and momentum flux etc. This article introduces J-OFURO and compares it with other global flux data sets such as European Centre for Medium Range Weather Forecasting (ECMWF) and National Center for Environmental Prediction (NCEP) reanalysis data and da Silva et al. (1994). The usual ECMWF data are used for comparison of zonal wind. The comparison is carried out for a meridional profile along the dateline for January and July 1993. Although the overall spatial variation is common for all the products, there is a large difference between them in places. J-OFURO shortwave radiation in July shows larger meridional contrast than other data sets. On the other hand, J-OFURO underestimates longwave radiation flux at low- and mid-latitudes in the Southern Hemisphere. J-OFURO latent heat flux in January overestimates at 10°N–20°N and underestimates at 25°N–40°N. Finally, J-OFURO shows a larger oceanic net heat loss at 10°N–20°N and a smaller loss north of 20°N in January. The data of da Silva et al. in July show small net heat loss around 20°S and large gain around 20°N, while the NCEP reanalysis (NRA) data show the opposite. The da Silva et al. zonal wind speed overestimates at low-latitudes in January, while ECMWF wind data seem to underestimate the easterlies.
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A quasiperiodic variation of 100–110 days in the Kuroshio path off Cape Ashizuri, resulting from the passage of small meanders, was detected by observation with moored current meters during 1993–1995. TOPEX/POSEIDON altimeter data covering 9 years showed that the quasiperiodic variation period was not persistent and modulated twice, with a ∼110-day period from mid-1993 to late 1996, a ∼150-day period from late 1996 to mid-1999, and a ∼110-day period from mid-1999 to late 2001. The quasiperiodic variations of the Kuroshio path migration were contemporaneous with the quasiperiodic arrivals of mesoscale eddies from the east along 27–32°N over the same ∼110- and ∼150-day period quasiperiodic variations. The periodic arrivals of the eddies configure the periodic variations of the Kuroshio path and its inter-annual modulation.
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After the long-time, non-large-meander (NLM) path during 1963-75, the Kuroshio takes a large-meander (LM) path during most of 1975-91. The study of these meanders confirms the description of the path of the Kuroshio based on the three typical paths and the transitions between them, with an exception being the 1981-84 LM path. The formation and decay of the large meander are associated with velocity and position of the Kuroshio in the Tokara Strait south of Kyushu. Volume transport of the Kuroshio shows an interdecadal variation, small before 1975 and large afterward. LM paths occur when the Kuroshio has large or medium transport and velocity, and is in a northern position in the Tokara Strait. -from Author
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Kiuemon(2011) : Psycross Home Page 中堀川物語. http://www.psycross.com/story-of-ecchuya/page3.htm.